D. H. Lawrenceの「The Man Who Loved Islands」



 この話を読み終えて最初に頭の中に浮かんできたのは「孤独」という言葉でした。この話の主人公は孤独が好きな人物だと感じました。そしてまた「悪いのは自分ではなく、私のことをわかってくれず、いつも邪魔する周りのせいだ。」と考えている人物とも思った。
 この作品のタイトルは「The Man Who Loved Islands」であるが彼は島を愛していたと言うよりも他人を本当に愛し、信じる事が出来なかっただけではないかと思った。当初、他者との接触を避けようとしていた主人公だったが結局孤独に耐え兼ねて島に住人を呼び寄せることになる。結局その人達とは上手くいかず、住人達とも別れ、島をも手放す事になるのだが、私はそれを最初呼んだときは主人公をかわいそうと思ったが、再び読み返してみると今度は何故か主人公に対しては何の感情もわかなかった。
 さて、主人公は2つ目の島へと移住する。そこで主人公は結婚という人生において大きな転機を迎えるのだがそれに対しても主人公は嫌悪の念を持っていた。衝動にかられて女性を愛したのだが、すぐにそれは誤りだと思いこみ後悔にみまわれるのだがここまで読んで私は主人公に対して愛着はわかなくなっていた。ひとときの衝動で彼女を愛した、と主人公は思っているのだがそれでは単なる動物、獣の類と同じで本能のみで生きていることになってしまう。自分のものにした後、相手に対して何の愛情もわかなくなった、だから別れたいというのは「もてあそんだ」ととられてもしかたの無い行為なのだが、主人公はそれを正当な想いだとしている。私はどうしてもこの主人公を好きになれそうには無いとその時思っていた。
 主人公は妻から離れて3つ目の島へと移住する。ここで主人公は完全な孤独を実現しようとする。また、他人がいる事の証である「文字」を嫌い、全ての文字をその島から消し去ってしまう。しかも、音がするのも嫌がりその島に生息する羊までをも島から姿を消させるのである。私は彼は異常だと思う。そして主人公はわずらわしいもの全てから逃げようとしている卑怯者だとも思う。そして主人公は最終的には自然に対しても嫌悪の感情を抱くようになり、哀しく惨めな最期を遂げるのだが、これはむしろ主人公が望んだ事なのではないかと思う。主人公は死ぬ事によって全ての事から離れて本当の「孤独」を手に入れたのである。これは私達からすれば悲劇だが、主人公にとってみればハッピーエンドなのかもしれない。
 しかしこの主人公は最初に自分の島を手に入れてからどんどん堕落していき、そして迷走を続けていた。孤独を愛しているからと、島を購入したにもかかわらず結局その寂しさに耐えかねて他者を呼び寄せたというのに失敗してしまい、島を手放したのだが主人公はおそらく「何故こうなったのか」ということを考えていなかったのであろう。もしくは考えたとしてもその結論は間違っていたのであろう。だから2つ目の島でも人間関係で破綻してしまうと言う同じ過ちを犯してしまうのである。
 主人公は島を買った事の動機を「自分の世界を作る」ことを一つの目的としている。そのため、他者からの接触及び影響をあまり受けない「島」を購入したのだが、失敗に終わってしまう。これは「人間が自分だけの世界を作る事は不可能だ。それができるのは神だけなのだ。」ではないかとも思ったがこれはおそらく私の考え過ぎであろう。たしかに、この世の中に他に生きている人がいたとしてもとても遠く、生きているうちに会う事の出来ないほど遠くにいれば自分の世界を作る事は可能である。ところが主人公は寂しさに耐えかね、自らの手で他者と接触を持とうとしている。自らの世界を作り上げる時、他者は異物であり、邪魔者であるのだ。だからといって私は他者はいない方が良いと思っているわけではない。他者との接触無しでは生きていけない、と思っているのだ。
 そこで、私はこの話を読んでの感想、考えが「人は一人では生きていけない」という事にいたった。そして「一人で生きていると思っても本当は一人では生きていない」という事も同時に思った。これはオスカー・ワイルドの「若い王」を読んだ時にも思った事だが、「若い王」は人生の成功者サイドの話だったがこの「島を愛した男」は落伍者サイドの話だと考える事が出来る。私はこの作品を選んだのも、ワイルドの「若い王」を選んだのも単なる偶然だったのである。しかし、私は同じ結論に達した。私はこの「島を愛した男」を読み、レポートを作成するにあたって、他者と共存し、たえず他者に対して感謝の念を抱いて生きていかねばならないのだと私は結論づけた。