ジャンヌ・ダルクと英仏の思惑


 ジャンヌ・ダルクはフランスにとって突如現われた英雄である。しかしイギリスにとっては魔女としてうけとめた。この事は疑いようのない事である。
 フランスの民衆にジャンヌ・ダルクが支持された要因の一つに神の存在がある。ヨーロッパにおいては神は絶対である。そしてその下に位置するべき教会も絶対的正義として人々に認められていた。例えば法皇の存在はちょっとした領主よりも絶大なものであった。よって神によって選ばれたとなれば民衆はこぞって支持したであろう。また民衆が望んでいたものは自分らと無関係に選ばれる新しい王ではなく神に選ばれし英雄であった。無関係に選ばれる、しかもこの時代は混迷を極めていた、王位継承について知ろうと思う者はほとんどいなかった。また変わったな、程度にしか見ていなかった。しかしジャンヌ・ダルクは同じ平民である。しかも彼女には神秘性がある。これだけで人々の噂の種になってしまう。そのため民衆の身近な、ジャンヌ・ダルクは平民出身なのだから当然なのだが、存在になり支持される要因の一つになっていったのである。また、この時代のヨーロッパでは神はある意味存在していたのかもしれない。人々に直接恩恵を与える神が存在しているヨーロッパ。その神に認められた少女ジャンヌ・ダルク。これは明らかな人々の希望の光となりうるのである。だからこそジャンヌ・ダルクは民衆に支持されたのである。
 しかし、同じフランス人の貴族、王族といった上流階級、つまり戦いの中心および原因となっている人達から見ればどうか。答えは煙たい存在と言える。一般の民衆と違い上流階級の人々は直接教会の堕落を見ているためいくら喋っている事が正しい事であっても行いが間違っている人間の言う事を信じる人間が何人いるだろうか。まずいないと言っていいだろう。そんな人々が突然神からお告げがあったという平民の少女の言う事を信じろといってもまず無理な話である。
 上流階級、特に貴族の人々にとっては納得できない事だらけであったであろう。今まで土地を持って必死に土地と領民を守ってきた。さらに王族とも上手く付き合って信頼関係を築き上げてきた。にもかかわらずわけのわからない自分よりもはるかに年下の少女が中心となり実験を握るという状況に耐えうる人間などいないだろう。しかもその少女は貴族の常識を破っている、特に戦い方が貴族のやり方を無視したものであったため邪魔な存在であった事は疑いようのない事である。
 つまり、ジャンヌ・ダルクの存在により貴族の人々はある種の恐怖を覚えたのではないだろうか。もしこのままフランスが勝ち続けたとしよう。その場合の英雄は誰か?それはルールを守り忠誠を守り続け、命がけで母国を守った貴族達ではなく、神に選ばれたといって簡単に王に取り入り、ルール知らずの生意気な少女、ジャンヌ・ダルクである。このままでは自分達がやってきたのは何だったのか?今までやってきた事はムダだったのか?これはどう考えても恐怖である。自分の存在を否定されるのはプライドの高い上流階級の人々にはとても絶えられない事だったであろう。そんな不協和音が生じている事など平民出身でルール知らずの彼女には知る由もない。そこに彼女の悲劇があったのかもしれないのである。
 ではイギリスはどうか。まず敵に神に選ばれたものがいる。これははっきり言って厄介である。敵には「神」という絶対的な正義がいるわけである。正義の敵は悪、つまりイギリスが悪になるのである。これだけはどうしても避けなければならない。もし悪になってしまうのであればそれは教会を敵にまわす事になり、それはまたヨーロッパ全体、つまり世界中を敵にまわす、という事である。
 ではそれを避けるためにはどうすればよいのか。答えは一つしかない。ジャンヌ・ダルクは神から選ばれた少女ではなく神に選ばれたと偽る魔女としてしまえばよいのだ。これは普通に考えると不可能に思われる。それは敵であるフランスが自らの不利益となるような事をするであろうか?答えは簡単にする事ができるのである。
 先程述べたようにフランスの上流階級、特に貴族連中にとってジャンヌ・ダルクは目の上のたんこぶであった。利害関係は当然一致する。後は実行に移すだけである。
 結果ジャンヌ・ダルクは火あぶりの刑となった。
 彼女の生きた時代はまさに混迷の時代である。政権を握っているのは誰なのかよくわからない時代である。たとえ王族であっても誰に権力があるのかよくわからない時代であった。混迷の時代だからこそわかりやすい英雄、ジャンヌ・ダルクは活躍できたのであろう。もし、権力の中心がわかりやすく、また敵対関係にあるものがおおざっぱにではなく、もっと明確かつ細かくなっていればジャンヌのような少女は存在すら許されなかったのだろう。
ジャンヌ・ダルクの登場はある意味異質である。いくら英雄を時代が求めていたとはいえ彼女の出現に不思議な点はないだろうか。例えばアレキサンダー大王。彼も英雄と言われた一人である。ナポレオン。彼も英雄になる事を求め人々はそれを認めた。ここである事に気がつかないだろうか。二人とも身分は高いのである。それに対してジャンヌ・ダルクは平民の娘である。いくら時代が英雄を求めているとはいえそう簡単にはなれないだろう。
 彼女がシャルル7世に気に入られた、正しくは信頼されたわけだが、とはいえ貴族はそれを許すのは不本意であっただろう。それが後にジャンヌ自身を滅ぼす事になるのだから皮肉なものである。確かに彼女が指揮した軍は勝利を続けた。しかしそれが貴族の反感をかったのもまた事実である。
 彼女のやった事は確かに英雄と言うにふさわしい。だが、平民が神の声を聞いたという事は例えシャルル7世を納得させる事ができたとしてもなぜ、民衆はそれを信じる事ができたのか。それは権力争いをある意味ヤジウマ根性、つまり他人事として見ていたからではなかろうか。先に述べたように民衆にとっては王が変わると言う事にはあまり興味のない事だった。だから無責任にジャンヌをはやしたてる事ができたのかもしれない。
 彼女が生きていた時代は確かに混迷の時代であった。彼女が本当にその混迷を解決したとは言えない。解決したのはジャンヌ以後に生きた人々である。しかし、彼女の周りには策謀と嫉妬が耐えずあった。それに巻き込まれて若くして命を落としたジャンヌ。この事が彼女を英雄にした要因の一つであると言えよう。そして彼女を、つまり英雄を利用する大きな権力……。純粋で神聖なジャンヌに代表される英雄と欲望と思惑のめぐる国家という権力。この二者はどんな時代においても密接に関係している。そして、英雄が権力を求めた時、英雄は英雄ではなくなるのかもしれない。ジャンヌは権力を手に入れる気がなくても周りから見れば手にしたようにしか見えない。そこにジャンヌの悲劇があったのである。結局彼女は英雄のまま死んだ。その事が彼女を英雄のまま現在に名が残るとはある意味皮肉なものである。

2000年6月30日


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