スポーツの価値について


 先日放送された番組で「スポーツ選手の収入」について取り上げられた事があった。この番組で特に目をひいたのは元プロ野球選手で現在は野球解説者の話とプロライフセーバーの話であった。プロ野球選手は年俸という基本収入のほかに副収入として「オフの営業」「監督賞」「優勝に伴う配当金」があると述べた。また、商品も多種多様で多くのものがもらえるとも述べたそれに対してライフセーバーの収入源は主にスポンサーからもらうお金だけで、あとはたまにテレビに出るときの収入のみ、ということであった。
 これはプロ野球は「プロ」であるにしても大きな興行収入が見込め、宣伝効果も絶大であり、ライフセーバーは「プロ」ではないにしてもあまり興行収入が見込めない、という事にもつながることである。
 ではまず、日本にはどれぐらいのスポーツがあるのだろうか。
 「健康と体力」(1988年10月号)によれば日本には379種のスポーツがある。しかしそのうちどれだけのスポーツが世間一般に認知されているのだろうか。
 ある大手検索サイトの掲示板にテーマわけされているスポーツはアメリカンフットボール、オートバイレース 、カーレース、ゴルフ、サッカー、スキー、スケート、スノーボード、バスケットボール、ホッケー、格闘技、競馬、サイクリング、アーチェリー、ウインドサーフィン、ウエイトリフティング、サーフィン、ソフトボール、テニス、トライアスロン、ハンドボール、バドミントン、バレーボール、フェンシング、ボウリング、ボクシング、マラソン、ジョキング、ラグビー、レスリング、近代五種、剣道、射撃、柔道、水泳、飛込み、水球、相撲、体操、卓球、馬術、乗馬、陸上競技、があげられている。少なくともこれらは多くの人が論じるだけの認識をしている、つまり広く知られているのである。
 しかし先ほど述べたように日本には379種のスポーツがあるので、ここにあげる事ができたのはほんの一部でしかない。
 これはその競技がもつ魅力に関係しているのではないかと思う。またスポーツが個人の好みなどによって細分化された結果、大多数の人が好むスポーツと少数派のスポーツがわかれてしまったことも関係してくるだろう。
 またこの379種というのは1988年のデータであるのでそれから10年以上たった今でも新しく増えているスポーツもある。たとえば上記にあげたスポーツの中では「スノーボード」や「ウインドサーフィン」は379種の中には入っていない。
 しかし現在では「スノーボード」は特に広く知れ渡っている。このように、価値としては新しさ、古さはあまり関係ないようである。
 そしてまた、同じスポーツであっても「価値」による格差は存在している。
 さきほどの番組では、巨人とパリーグのチームでは講演会や野球教室などのギャラは段違いに巨人のほうが良い、という主旨のことを言われていた。日本における有名スポーツの一つである野球でもチームによって人気の格差があり、それは「価値」の差とも言えることである。
 これは巨人戦ばかりが全国中継され、ほかのチームは−同じセリーグのチームであっても全国中継されるには巨人と試合をするか、優勝争いにからまないと難しい。後者は当然なのだが、前者の場合、やはり「巨人」ブランドの価値というものが深く関わっていることは想像するに難しくない。
 また観客入場者数でも巨人は群を抜いて多い。2000年の巨人の入場者数は3,604,000人で、ほかの11球団の平均は1,712,455である。このことからわかるように巨人とそれ以外の球団では「価値」に雲泥の差がある。
 しかし、だからと言って巨人が大事だ、というわけではない。これは「カネ」が絡んだときだけの価値なのだからである。
 さて、上記を読まれると「価値」=「カネ」と思われるかもしれないがそれは違う。確かに価値の一つとして「カネ」はある。しかし価値はそれだけではない。たとえば偉大な記録を残したことも「価値」として成立するものであるし、単にそのスポーツが好きでやっている人が多いスポーツであればカネがらみではない「価値」があることになる。
 最後に、またもや番組に話を戻すとライフセーバーの飯沼氏はオーストラリアは夢の国であると語っている。それはオーストラリアではライフセーバーというのはメジャーなスポーツで日本でいえば野球並みのスポーツであり、優勝賞金が1000万を超えたり、と日本とは格段に扱われ方が違うからである。また日本ではメジャーな野球もまだ行われていない国や、マイナースポーツである国の方が多いのである。このように「価値」は国によってもちがうのである。
 結論として「価値」には多くの種類がある。そして、「価値」にはカネがらみのものもたしかにある。しかしそれはそのスポーツが魅力のある面白いものであるという証明でもある。また「価値」はさまざまな要因、条件によって大きく左右されるものである。だからこそ、「価値」をあげるチャンスはまだ残されているはずである。