「ここは……?」
一人の女が病室のベッドの上に横たわっていた。まわりには安どの顔をする人達がいる。
「病院だよ、理香。」
そう言いながら彼女の父親は微笑んだ。
「みんなあなたのこと心配してくれたのよ。」
彼女の母親の目には涙が浮かんでいた。
「よかったね、理香。」
彼女の親友である日藤晃美が彼女の顔を見て微笑んだ。
その時だった。
「……おねえちゃん、だれ?」
病室は凍りついた。
本居理香は高校2年生である。彼女は学校からの帰り道、車に轢かれてしまいこの病院に運び込まれた。彼女は2時間意識が無かった。
そして彼女が目を覚ました時には彼女の記憶の一部が失われていた。彼女に残っていたのは小学三年生までの記憶のみである。そのため、高校に入ってからの親友、日藤晃子が誰かわからなかったのである。
「何とかならないんですか、先生。」
父親の本居達也はこの事実にショックを受けた。しかし、ワラにもすがる思いで担当医に尋ねた。
「まあ、そのうち回復するとは思いますが、でも……いや、とにかく懸命に彼女の記憶が取り戻せるよう対処します。」
母親である本居奈樹は先程とは違う意味の涙を浮かべている。
本居理香のリハビリは思いのほか順調だった。ただし、記憶のほうは戻る気配がなかなか無かった。
そんなある日。彼女は歩行訓練をしていた。
「きゃっ。」
彼女は転んでしまった。
「……いたいよう。」
本居理香は泣き出しそうになった。彼女はなんとも言えない寂しさを募らせていた。両親は毎日会いに来てくれるが、どことなく不自然な笑顔であった。それに親友だと名乗る女性、本当に親友なのだが、見覚えの無いお姉ちゃんに彼女は不安さを隠せなかった。そのたびに親友と名乗る女性が寂しそうな顔をするのが理香の寂しさをよりいっそう募らせていく事になっていったのである。
「大丈夫?」
理香はその声にはっとして顔を上げた。そこには青年が立っていた。しかし、彼もまた事故により記憶を失い、少年に戻っているのである。
だが、そんな事は理香は知るわけもなく、青年の方も理香が少女に戻っているなどと知りはしないのである。
「……うん。」
理香はうなずいた。
「君、名前は?」
「本居理香。あなたは?」
「原田辰夫。よろしくね。」
辰夫、と名乗るその青年、頭の中は少年だが、は理香にほほえんだ。
「よろしくね。」
「こちらこそ。」
二人は微笑みながら手をにぎりあった。その時理香の心にはある一つの感情が芽生えていた。
「……看護婦さん。」
「え?何?」
理香は食事を持ってきた看護婦に恥ずかしそうに話し始めた。
「あの……私……ひょっとしたら……。」
「ん?なあに?」
看護婦は理香の顔を覗きこんだ。
「恋しちゃったみたい。」
「え?」
看護婦は少し驚いた顔をした。
「どうしよう、私……あの……。」
「理香ちゃん。」
看護婦は理香の両手を握った。
「恋はね、待ってるだけじゃ始まらないの。当たらなきゃ、ね。」
「……はい。」
「……ふう。」
看護婦は病室を出てナースルームに帰ってきて一息ついた。部屋には誰もいない。まだ全員患者に夕食を配りに行っているようだ。
「待ってるだけじゃ始まらない、当たって砕けろ、か。」
看護婦は壁にもたれながらつぶやいた。
「私も……当たってみようかな。」
その後彼女は前から想い続けた人に告白し、見事結婚までこぎつけたのだがそれはまた別の話である。
「辰夫君。あの……私、私、あなたのことが……大好きです!」
翌日、理香はリハビリ中に告白した。
「理香ちゃん、……あの……その……僕も君の事が大好きです。」
こうして一組のカップルが誕生した。
しかし、それは長くは続かなかった。
「うわーん、うわーん。」
理香はベッドの上で泣き続けていた。
告白してから一週間後、辰夫の記憶は戻り退院してしまった。
「理香ちゃん、泣かないで。」
告白するように勧めた看護婦は理香の手を取って顔を見つめた。
「理香ちゃん、大丈夫。本当に結ばれる運命にある二人ならまた会えるわよ。」
「本当?」
理香は泣きじゃくりながら看護婦の話を聞き出した。
「いい、理香ちゃん。本当に結ばれる二人ならどんなに遠くにいても結ばれるの。そういうふうに神様が守ってくれているんだから。だから、また逢える日を思うの。」
「……うん。」
理香は涙を流しながらうなずいた。
それから六日後。
それは突然訪れた。理香は屋上に出ようと階段を上っていった。その瞬間、あまりにもよくあるパターンではあるが、彼女は階段を踏み外し転げ落ちた。そして彼女の記憶は戻ったのである。
翌日、彼女は退院していった。辰夫のことなどすっかり忘れてしまって。
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