その夜は満月の光が妖しく輝いていた。
 その満月の下一人の女性が歩いていた。彼女の美しさは月よりも人々を魅了するほどの美しさであった。
 彼女は一人で町の中を歩いていた。黙って……そして静かに歩いていた。彼女のまわりは沈黙のみがあるようであった。彼女の顔は無表情であった。
 彼女が町外れに来た時に異変が起きた。霧が立ち込め始めた。彼女は足を止めた。みるみるうちに無表情が崩れ恐怖におびえだした。
 霧に人影が浮かび始めた。徐々に黒いマントをつけた口元の牙が光る紳士、吸血鬼が姿を見せた。
 吸血鬼は両手を広げた。まるで彼女を誘うようにゆっくりと広げた。
 彼女の顔は今にも泣き出しそうであった。徐々に後ずさりをしている。
 吸血鬼の手が女性の肩にかかった。
 彼女は叫んだ。その叫び声は何故か美しさをも感じさせるものだった。
 彼女は吸血鬼の手を振り払い全速力で走り去った。
 しかし吸血鬼は彼女を逃がそうとはしなかった。
 吸血鬼の手が再び彼女の肩をつかんだ。彼は彼女の体を自分に向き合うようにした。そして、妖しげな笑みを浮かべた。
 彼女は美しく微かな声でなにかを言ったようであった。しかし恐怖のためかそれを聞く事ができたのは目の前の吸血鬼だけだった。そして彼女は徐々に後ずさりしつづけた。吸血鬼の手は彼女の肩をつかんだままだった。少しの時間彼女は後ずさりしつづけたがとうとう何かの建物の壁にぶつかってしまった。
 吸血鬼の眼は彼女の顔を見つめていた。
 彼女の眼からは涙が流れていた。その涙はまるで星が流れたような輝きを持っていた。
 吸血鬼は妙に優しい声で彼女の耳元にささやいた。そして次の瞬間、彼女の首元に噛み付いた。
 彼女は力なくもだえた。吸血鬼は眼を閉じたまま血を吸っている。
 その時間は実際は1分にも満たない時間なのだが永遠の時を刻んでいるようであった。
 吸血鬼が牙を抜く時には彼女は静かに崩れ落ちた。
 吸血鬼は会心の微笑を浮かべている。しかし、次の瞬間には彼の様子が一変した。
 吸血鬼の体内で何かが起こった。何かが彼の体を支配しようとしている。
 吸血鬼は頭をかきむしり地面にうずくまった。彼は自分の体を制御する事ができなくなっていた。彼は地面を転がりまわり始めた。
 そして、断末魔の叫びが響いた。人には聞こえないほどの叫びだった。
 吸血鬼の体は灰になった。そこに風が吹いた。吸血鬼の体だったものは風の中へと消えていった。
 今まで微動だにしなかった彼女が何も言わず立ちあがった。彼女の顔はまた無表情に戻っている。彼女は再び歩き出した。そして町の外へ……闇の中へ消えていった。

 こんな伝説がある。
 はるか古き時代、ある高貴な王家の王女が吸血鬼に教われ亡くなったと。しかし死後まもなく彼女の墓はあばかれ死体が無くなったと。結局その死体は見つからなかった。そのかわりに夜の町に一人の美しい女性が歩いているのを目撃したと言う噂が広まった。その女性は夜な夜な吸血鬼を葬るためにさまよっている、と。
 また、別の伝説にはこうある。
 その女性は輝かんばかりの美貌のため言い寄る男が多くじょじょに他人を信じられなくなったため自ら身を投げた。その様子を憐れに思われた最高神はその女性を自らの前へと連れてきた。そして力を授け、聖女として生き民を助けるためにこの世に戻した。しかし彼女は民を助ける道ではなく世に巣くう魔物を滅してさまよっている、と。
 それとはまた別の伝説がある。
 古の時代、魔王ロエジが現われし時代、その魔王ロエジの配下に一人の魔術師がいた。その魔術師には一人の娘がいた。その魔術師が、今となってはわからないが魔王ロエジを封印したとされる勇者に倒されて以来彼女は悲嘆にくれた。その後彼女は父親が死んだのは魔族と呼ばれる者達が人間といさかいを起こすためだと思いながら死んでいった。その後彼女の怨念のみが何かを追い求めるようにさまようようになった、と。

END


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